和歌の浦万葉ウォークの模様について
和歌の浦ゆかりの庭園・六義園(東京都駒込)で実施した講座「寺子屋六義園」との連動で開催した「近大名誉教授・村瀬憲夫氏と歩く 和歌の浦万葉ウォーク」が2月16日、和歌山市和歌浦の万葉館を起点に開催されました。21名の参加者が約2.5キロメートルのコースを巡りました。
東京からご参加いただいた方もおり、皆さん真剣な眼差しで村瀬教授の話に耳を傾けていました。万葉館で「万葉と和歌の浦」についての全体像を把握し、いよいよ出発です。
海岸線を歩いて不老橋を目指します。
出発時は、満潮でした。美しい和歌の浦干潟は午後にお預けです。対岸には名草山(なぐさやま)がそびえ、その中腹に紀三井寺があります。
名草山 言にしありけり 我が恋ふる 千重の一重も 慰めなくに
万葉集(巻7-1213)
(訳)なぐさ山は、言葉に過ぎなかったなあ。なぜって、積もりに積もった私の恋の苦しさを、千の一つも慰めてくれないのだもの。
神亀元年の聖武天皇和歌浦行幸の折に、お供の官人(役人)の一人が詠んだものと推定されますが、作者未詳の歌です。
不老橋は、徳川治宝が嘉永4年(1851年)に建造したアーチ型の石橋です。紀州東照宮の例大祭である和歌祭(2014年は5月11日開催)の際に、徳川家や東照宮関係の人々が御旅所に向かうために通行した「お成り道」に架けられたものです。
和歌の神様 玉津島神社に到着です。鳥居の手前にある万葉歌碑には、次の歌が刻まれています。
玉津島 見れども飽かず いかにして 包み持ち行かむ 見ぬ人のため
万葉集(巻7-1222)藤原卿
(訳)玉津島は見ても飽きない。これほど美しい景色をどのようにして包んで持ち帰ったらいいだろう。見ることができない人のために。
昔の人にとって、「旅」は現代のように楽しむ「観光」というのではなく、命をかけた大変危険なものでした。奈良の都で待つ家族や恋人への思いが込められた感動的な歌であるとともに、当時の玉津島が本当に美しい場所であったことがうかがえます。
境内に入ると、玉津島神社の神職が迎えてくださり、特別にご本殿を案内していただけました。ご本殿は、慶長年間(1606年)に修復・造営されましたが長い年月のため荒廃が甚だしかったため、平成4年に社寺建築の粋を施した修復が完成し、往時の絢爛華麗な姿を再現しています。一間社隅木入春日造、檜皮葺(ひわだぶき)の社殿で、全体に漆塗(蝋色施工)や極彩色を施す豪華な装飾がされています。
木鼻、蟇股(ひきまた)、脇障子等の彫刻類は極めて芸術性に富み、御内陣外壁三面には名勝和歌の浦の風景、根上り松等の絵が描かれています。
その後、ご好意で参加者とスタッフのお祓いもしていただけました。
境内にある万葉歌碑。次は、奠供山に登ります。玉津島神社の裏に登り口があります。
山頂まで約5分。きれいな梅の花が咲いていました。
山頂からは、和歌浦天満宮と紀州東照宮が望めます。また、明治43年(1910年)に開業した国内初の屋外型観光用エレベーターがあった痕跡が今も残されていました。夏目漱石も乗り、小説『行人』でも乗ったときの感想を書いています。
山頂に登った時には、干潮になりつつある和歌の浦干潟が望めました。
玉津島神社の周辺には、松尾芭蕉の句碑や山部赤人の歌碑が建てられています。
若の浦に潮満ち来れば潟をなみ葦辺をさして鶴鳴き渡る
万葉集(巻6-919)山部赤人
玉津島神社のすぐ近く、鏡山の麓にある塩竈神社に立ち寄りました。
ここは、安産の神様で知られ、祠は海風により自然に形成された洞窟です。
県内最古の石橋・三断橋を渡ると妹背山です。
すっかり潮が引き、干潟内に川のような流れができていました。干潟に刺さる棒は「澪標(みおつくし・みをつくし)」と呼ばれるもので、船の航路を示す標識です。座礁の危険性があるため、比較的水深が深く航行可能な場所である澪との境界に並べて設置されています。大阪市の市章としても採用されています。
古今集でも「みおつくし」が和歌の中で登場しています。
君恋ふる涙の床にみちぬればみをつくしとぞ我はなりける(古今集567)
(訳)君を恋う涙が床に満ちあふれたので、私は澪標(みをつくし)になったよ。
和歌ではこういった使い方の他に、「身を尽くす」の意味で用いることが多いそうです。
昼食は、妹背山に建つ旧あしべ屋妹背別荘でいただきました。明治時代に多くの文化人が訪れた旅館・芦辺屋の妹背山に設けられた別荘で、当時は別格であったそうです。
随所に趣きが感じられ、優雅なひと時を過ごすことができました。
海に張り出した建物が観海閣。これは、徳川頼宣が慶安年間に木造の水上楼閣として建立したもので、ここから名草山の紀三井寺を遥拝したと伝えられています。現在の建物はコンクリートで再建されたものです。
観海閣の近くには、海禅院多宝塔があります。頼宣が母の養珠院を弔うために建立しました。塔下の石室からは、「南無妙法蓮華経」と書かれた役15万個以上の経石が発見されています。
妹背山から約1キロメートルの紀州東照宮に到着。
108段の石段を登ります。振り返ると、和歌の浦が望めました。
残念ながら、社殿は3月末まで修復中でしたが、宮司様に社殿内を案内していただきました。
修復作業は、東京の職人さんが行っているとのことで、技術的にも東京にしか職人さんが残っていないのが現状らしいです。
関西の日光と称されるに相応しく、左甚五郎の彫刻「緋鯉真鯉」や「鶴亀」をはじめ、狩野・土佐両派の絵画等が施され、桃山時代の豪華な風姿を示しています。
元和5年(1619年)紀州に入国した初代藩主徳川頼宣が、その翌年父である家康を祀るために造営しました。社殿は、本殿と拝殿を石の間でつなぐ権現造(ごんげんづくり)と呼ばれる形式となっています。
絢爛豪華な社殿の他に、唐門、楼門等が重要文化財の指定を受けています。
紀州東照宮の隣、歩いて5分程のところにある和歌浦天満宮。学問の神様である菅原道真が祀られ、大宰府天満宮、北野天満宮とともに日本の三菅廟といわれています。本殿は国重要文化財に指定されており、楼門からの和歌の浦の絶景は見事です。
午後3時過ぎにゴール地点である御手洗池公園に到着。参加者の方々にも「今日は参加してよかったです!」とのお言葉をいただきました。
「万葉の地は歩いてまわらないとその本当の良さがわからない。」村瀬教授のお言葉が身をもって理解できました。
万葉ロマンあふれる1日でした。
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