六義園にうつされた和歌山市の景観

 

ページ番号1003262  更新日 平成28年2月2日 印刷 

万葉集や古今和歌集などに基づいて園内に作られた「六義園八十八境」と呼ばれる88か所の名所には、和歌山市の地名や景観が数多く設定されており、「六義園」を通して「和歌の浦」を感じることができます。

六義園 八十八境(抜粋)

  • 吹上浜、吹上松、吹上小野、吹上峯
    和歌山城の南側にある地名「吹上」が多く登場します。かつて、西南の激しい風が白砂を吹き上げていたことからこの名が付いたといわれています。清少納言も『浜は吹上の浜』と名所の随一に挙げました。
  • 片男波、蘆辺、紀川、紀川上、布引松
    和歌の浦から南に延びる長い砂州とその周辺が「片男波」です。
    「若の浦に 潮満ち来れば 潟(かた)をなみ 葦辺(あしべ)をさして 鶴(たづ)鳴き渡る」と山部赤人が詠んだことから「片男波」と呼ばれるようになったといわれています。特徴ある美しい砂州は、海から吹き上げる砂によって形成され、多くの歌人に詠われた景勝地です。
    また、「紀の川」は、かつて和歌の浦に注いでおり、その河口付近は古代より和歌の浦の景勝の核となった関西最大級の干潟が広がっています。
  • 白鳥関
    和歌山と大阪の県境の雄の山峠の南側に紀の関(白鳥の関)の跡があります。
  • 藤代峠
    和歌山市に隣接する海南市南東部にある藤白峠のこと。
  • 新玉松
    六義園の要として作られた八十八境のひとつ「新玉松」には、和歌の浦の玉津島神社にも祀られている和歌の神「衣通姫尊」が祀られています。新玉松は、京都にある藤原俊成ゆかりの神社・新玉津島神社を勧進したとされます。江戸時代には松尾芭蕉の師であり柳沢吉保に和歌の精神を伝授した北村季吟が新玉津島神社の社司を務めています。
    京都、そして江戸にまで影響を及ぼした和歌の浦の玉津島神社は、現代においても和歌の浦の歴史的景観の核となっています。

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